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森昌子が引退会見「これからの人生を楽しみたい」

(2019年3月28日)

  • 森昌子/
  • 引退会見を速報する日本テレビ「情報ライブミヤネ屋」

年内で引退する歌手の森昌子(60)が28日、都内で引退会見を行った。森は1986年に歌手の森進一(71)と結婚したときに引退して、2006年に離婚して復帰しており2度目の引退となったが「3度目はございません」と語った。還暦コンサートが大盛況の中での引退に「なぜ今引退か」という声も上がるなか「60歳になり区切りをつけたかった」と引退を決意したたいきさつや現在の心境などを語った。

森は引退の理由について「昨年の秋10月に還暦を迎えました。その時に私も60歳になるんだって、ふと、本当に初めてなんですけど考えてしまうようになりました。これからの自分の残された人生は、あとどれくらいあるのかなあと、なぜか真剣に考えるようになってしまったんです」という。
「そうしましたら私は幼少期から今までほんとに自分の時間を使った時が少なくて、悲しいことに思い出もそんなに多くありません」「ですから芸能活動以外に時間をかけて、これからの自分の人生を大いに楽しんでいけるよう、大変勝手でわがままとはわかっているんですが、そのように決断をいたしました」と一言一言かみしめるように引退を決めるに至ったいきさつと心境を語った。

また「実は昨年に夏に私がデビュー当時から大変お世話になっていた方がお亡くなりになりまして、本当に娘のようにかわいがってくださった方だったんです」「その方の死というのはやはりこう、しばらく受け止めることができませんでしたね」という。ハンカチで涙を拭くと、一斉にカメラマンがシャッターが切り「いやだパシャパシャいわないでください」といって報道陣を笑わせる一幕もあった。

3月13日に母親が87歳の誕生日を迎えた時に2人で食事をしてその時に「今年で歌手をやめる」と報告したところ「昌子、よく14年間頑張ってくれたね、ありがとうね」といわれたという。子供たちは忙しくなかなか会う機会もないのでメールで報告したところ「母さんお疲れさまでした」という返信があったという。
長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストのTaka。次男はテレビ東京に勤務するサラリーマン、三男はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストのHiroこと森内寛樹。

1972年、13歳のときに「せんせい」でデビューして、山口百恵、桜田淳子と“中3トリオ”と呼ばれて国民的な人気があった森。桜田から「これからいっぱい時間ができるからいろんなところに遊びに行こうね」というメールをもらい「うんそうだね、誘ってね」と返信したという。

歌手生活を振り返って「どの時代にも、ファンの皆様、関係者の皆様にも恵まれた歌手人生だったと思います」といい「私の力不足でなかなか皆様にお伝えすることができないいい曲がたくさんあるんです。そういう歌をこれから歌い継いで行っていただけたら嬉しいなという気持ちはあります」と語った。

引退後にやりたいことについて聞かれ「今は何も考えられなくて残された日々をとにかく充実させるようにファンの皆様に私の気持ちが届くようにということしか考えられない」といいながらも「映画鑑賞や美術鑑賞のほかにもお料理にも興味があるので、上手に作れるようになりたい」という。


現在全国で行っている森の還暦コンサートでは「姪っ子の8歳のマーちゃん」という設定でコントやモノマネを行い笑わせて人気を呼んでいて、そのマーちゃんだけでも芸能活動は続けないのかと聞かれ「マーちゃんも私と一緒に消滅してしまうと思います」といって笑わせた。結婚については「考えている暇がない」という。
年末の「NHK紅白歌合戦」に出てほしいというファンの声があるといわれて「それは全くないです」と否定したが、NHKが出演交渉する可能性は十分ありそうだ。

心に残っている歌を聴かれて「森昌子という歌手を作ってくれた」デビュー曲の「せんせい」。 「方向性として自分がこれからどういう歌を歌っていったらと思ったときに歌い、大人の歌を歌えるようになったかなと思った」という「哀しみ本線日本海」(1981年)。そして「森昌子のキャラクターではない逆の女性を演じることができたという意味では大変自分の心の中には残っています」という「越冬つばめ」(1983年)の3曲を挙げた。

この日は亡くなった父親の命日で「13年前の今日復帰会見がありその日の夕方父が亡くなりました」「こんな偶然ってあるのかなあと思いました」と話していた。

森昌子 1958年10月13日宇都宮市生まれ。71年10月にスタートしたオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)の初代グランドチャンピオンになりホリプロに所属。72年7月、13歳(中学2年生)のときに「せんせい」でデビュー。発売2か月で40万枚の大ヒットになり一躍人気者になった。1年遅れてデビューした山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれて活躍。「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」などの数々のヒット曲を残す。