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八千草薫さん88歳で死去 米メディアも報じる

(2019年10月30日)

八千草薫さん88歳で死去 米「Hollywood Reporter」も報じる
(八千草さんの死去を報じる米「Hollywood Reporter」)

数々の映画やテレビ、舞台で活躍した女優の八千草薫さん(本名・谷口瞳)が24日午前7時45分、すい臓がんのため都内の病院で死去した。88歳だった。
日本を代表する女優の一人八千草さんの逝去を米「Hollywood Reporter」は「オスカーを獲得した『Samurai,the Legend of Musashi』(邦題=宮本武蔵)の女優八千草薫88歳で死去」と報じた。

同サイトは、八千草さんが「宮本武蔵」(稲垣浩監督、1954年)で、躍進したと指摘した。三船敏郎が演じた剣に生きる武蔵へのひたむきな愛を貫くお通を演じ、東宝初のカラー作品となった同作は第28回アカデミー賞(1956年)の外国語映画賞(名誉賞)を受賞したことを紹介した。三船と八千草さんのコンビによる武蔵映画は同作に続いて「続宮本武蔵 一乗寺の決斗」(1955年)、「宮本武蔵 完結編 決闘巌流島」(1956年)と3作製作された。

1957年、八千草さんが映画監督の谷口千吉さんと結婚して監督が2007年に95歳で死去するまで一緒だったこと、そして谷口監督は黒澤明監督と親しく2人とも三船の主演映画を手掛けたと報じた。

八千草さんは数十年にわたってテレビドラマや映画に出演し、80代まで女優の仕事を続け、彼女のキャリアに対して政府から表彰された(1997年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受賞)と功績をたたえた。

そして「Memoirs of a Geisha」(邦題=SAYURI、2005年の米映画)の役所広司は28日、東京国際映画祭のオープニングのレッドカーペットで、八千草さんについて聞かれたときに、「身も心も美しい人だった」と語ったと報じた。八千草さんは役所が監督・主演した映画「ガマの油」(2009年)に出演した。

■所属事務所「柊企画」が八千草さんの死去をHPで発表

八千草薫さん88歳で死去 米「Hollywood Reporter」も報じる
(八千草さんの死去を伝える柊企画のHP)

八千草さんの所属事務所「柊企画」は公式ホームページで「令和元年10月24日木曜日午前7時45分  八千草薫が、膵臓癌により都内の病院にて永眠いたしましたのでお知らせ致します。」と訃報を報告した。「故人の希望により、お通夜・告別式等は近親者ですでに済ませました。  また申し訳ございませんが後日のお別れに買い等も個人の希望により予定はございません。」という。
そして「長年にわたり、女優八千草薫を応援、ご指導、ご鞭撻を賜りまして誠にありがとうございました。ここでつつぃんでお礼を申し上げます。ありがとうございました。」と感謝の言葉で締めくくった。

■宝塚のスターから数多くの映画、テレビ、舞台で80代まで活躍

八千草さんは1946年4月に宝塚音楽学校に入学。同期に淀かおるがいる。同年4月「春の踊り・世界の花」で初舞台を踏む。1951年、「河童まつり」の河童の勘平役でスターの地位を確立。同年、東宝「宝塚夫人」で映画デビュー。「宮本武蔵」(1954年)などの作品で活躍し1955年、日伊合作映画「蝶々夫人」のヒロイン蝶々夫人に抜擢され、国際的な人気を獲得した。1957年「雪国」の葉子役で義姉の駒子(岸恵子)と日本画家・島村(池辺良)との仲に嫉妬する女を熱演して評価された。1972年には「男はつらいよ・寅次郎夢枕」で10代目のマドンナ役で出演。また「岸辺のアルバム」(1977年)などのテレビドラマや「二十四の瞳」(191972年)などの舞台で活躍した。

80歳を超えてからも映画「くじけないで」(2013年)で100歳の詩人・柴田トヨ役で主演。女優健在なところを見せていた。さらには「やすらぎの郷」(1917年、テレビ朝日)に九条摂子役で出演。続編の「やすらぎの刻~道」(2019年、同)にも出演する予定だったが、2019年1月に肝臓にがんが見つかり、2月に降板を発表するもその3日後に極秘で撮影に参加したという。

晩年はがんとの闘病が続いた。2017年春に乳がんが見つかり手術。同年12月にすい臓がんが判明して翌年1月に7時間に及ぶがん摘出手術を受けた。その後は抗がん剤治療を受けて順調に回復して同年7月に舞台「黄昏」に主演するなど仕事を続いていたが今年1月に肝臓がんがみつかったという。その後入退院を繰り返していたが、10月2日に肺に水がたまり入院。病室では元気だったが、24日に容体が急変して所属事務所社長に看取られて息を引き取ったという。昭和、平成と活躍してきた清楚で上品な”永遠のマドンナ“は令和元年に旅立った。