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梅宮辰夫さん慢性腎不全のため死去 昭和のスター俳優逝く

(2019年12月12日)

梅宮辰夫さん慢性腎不全のため死去
(死去した梅宮辰さん=梅宮さんのオフィシャルブログから)

数々の映画やドラマで活躍した俳優の梅宮辰夫さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため神奈川県内の病院で死去した。81歳だった。妻のクラウディアさんが梅宮さんの異変に気付いて救急車で病院に搬送したが帰らぬ人となった。

梅宮さんは6度のがん闘病を経験した。1974年に睾丸がんになり肺に転移したが抗がん剤治療を受けて完治した。2012年に初期の胃がんが発見され、2016年には胃がんと十二指腸乳頭部がんが発見され11時間に及ぶ手術を受けた。
このとき娘でタレントの梅宮アンナ(47)は自身のブログで「あの時は、さすがに、手術室の前で父を繰り出す姿が、きっと私が見る最後の光景なんだと、自分に言い聞かせてもいました。」「死を覚悟する気持ちは、ツライものです。」などとつづっていた。手術は成功して退院したが、昨年9月には前立腺のがんの手術を受けた。今年1月には左腎盂尿管がんの手術で腎臓を摘出して、人工透析を受けていたという。

アンナは今年5月に自身のインスタグラムに梅宮さん、クラウディアさんとのスリーショットや愛犬との写真などを投稿して「家族全員集合」などとキャプションをつけた。



■「不良番長」シリーズなどの”軟派路線“で一世を風靡

梅宮さんは1938年3月11日、満州(現・中国東北部)黒竜江省ハルビン市生まれ。本名・梅宮辰雄。ハルビンから水戸を経て東京に転居。1956年、日大法学部に入学。58年、東映第五期ニューフェイスに応募して合格。59年4月東映と専属契約して梅宮辰夫の芸名で「少年探偵団・敵は原子力潜水艦」に岡田英次、波島進に続く3代目の明智小五郎役で主演。「不死身の男」(60年)、「にっぽんGメン・摩天楼の狼」(同)など多数の作品でアクションスターとして活躍する。

梅宮さんの俳優としての地位と人気を不動にしたのは1965年の「ひも」「ダニ」「かも」「いろ」などの”夜の盛り場“シリーズ、そして1965年から72年にかけて16本製作された「不良番長」シリーズ、「夜遊びの帝王」(1970年)などの”帝王シリーズ“だった。高倉健の任侠映画の全盛時代に、その併映作品として人気を呼んだ。健さんが「義理と人情」の正統派の任侠路線で人気を博したのに対して、梅宮さんは“軟派路線”のアウトローで「夜の帝王」「プレイボーイ」として一世を風靡した。

■「仁義なき戦い」「前略おふくろ様」で役者として新境地

その後、任侠映画に替わって菅原文太主演の実録やくざ路線「仁義なき戦い」(73年)がヒットしてシリーズ化される中、同シリーズで梅宮さんはプレイボーイのイメージから一転して、シリアスなやくざ役で注目された。また78年10月にスタートした萩原健一主演の「前略おふくろ様」で萩原の兄貴分の板前役で存在感を見せ俳優としての幅を広げた。また「はぐれ刑事純情派」(テレビ朝日系)や「特命係長 只野仁」(同)などのテレビドラマで名脇役ぶりを発揮した。

■婚約騒動、結婚・離婚を経てクラウディアさんと結婚 娘アンナの熱愛騒動も

私生活でも話題を振りまいた。65年、女優の北条きく子と婚約したが後に婚約解消。68年、銀座のホステス大門節子と結婚したが6か月で離婚。71年、女優の大信田礼子婚約と報じられたが否定した。72年3月20日、米国出身の元ファッションモデルのクラウディア・ヴィクトリア・ルールダウさんとハワイのカウアイ島で挙式。同年8月に娘のアンナが生まれた。 1994年ごろからアンナが羽賀研二と交際するようになり、梅宮は公然と反対してワイドショーなどで羽賀に対する批判を繰り返して熱愛騒動が続いたが99年に破局した。 実業家・料理人としても才能を発揮して「梅宮辰夫の漬物本舗」などの事業も展開するなど多彩な活躍を見せた