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「寛解の連続」ラッパー小林勝行が隔離病棟生活を経て復帰するまでの迫真のドキュメント

(2021年4月24日11:00)

「寛解の連続」ラッパー小林勝行が隔離病棟生活を経て復帰するまでの迫真のドキュメント
「寛解の連続」(©2019sardineheadpictures) (4月23日(金)よりアップリンク渋谷にて公開)

熱狂的支持を集めながら躁うつ病が悪化して突如活動を休止した神戸在住のラッパー、小林勝行が隔離病棟での闘病を経て日常生活に復帰し、セカンドアルバム「かっつん」を発表するまでを光永惇監督が密着した迫真のドキュメント映画。

映画の冒頭で神戸の市街の空撮映像に「『寛解』とは病気の症状や兆候の一部またはすべたが軽快した状態、あるいは見かけ上、消滅して正常な機能に戻った状態。(日本大百科全書より)」との解説文が映し出され、2011年12月、神戸市三宮で行われた小林のファーストアルバム「神戸薔薇尻」のリリースパーティーのライブから始まる。「三宮 駅から数分 とある雑居ビルの前に到着 嘘の年齢 プリクラ貼った履歴書 内ポケにペラペラのスーツ…」と軽快にラップを歌い、舞台で寝転がって叫ぶようにラップを続け、客席から歓声が上がる。地方都市に生きるアウトローの半生を生々しくラップで描いて熱狂的な支持を得た小林だが、躁うつ病が悪化して活動を休止する。
そして2115年2月、「寛解」になり退院して病院に通院する小林。躁うつ病との闘病を振り返って語るシーンや、ノートに歌詞を書いてラップの作詞をするシーン、身体障がい者の介護の仕事をするシーン、さらには自らの信仰についても明らかにするなどラッパー小林の波乱の半生がビビッドに描かれる。
入院したのは2013年6月から1か月ぐらいで、そのうち10日間ぐらい隔離室に入れられたという。その時の様子を歌った「from 隔離室」をラップするシーンでは「寛解の連続 またかほとんど寝んと 家で暴れ ポリに連れられ 精神病院 病名 躁鬱病 どうするもこうするも 監禁隔離室 四角い部屋 天井のカメラ」と歌う。
障がい者の介護の仕事が病気の回復に役立ったとも明かす。「俺も知的障がい者みたいになっていたけれど、障がい者の介護の仕事を得ることによって不屈の精神を手に入れた」と語る。「主張すること 不屈の精神 強いメンタルを手に入れた なぜ あいつらは心が無茶綺麗」とラップする。
「自分では普通やし絶好調や。無敵状態。誇大妄想とかすごいんよ。自分が王様じゃないけど自分が最高や、勘違いというか勢いというか自慢というか毎日活発で疲れ知らずやねん」と振り返る。「具体的な原因は妙に攻撃的になって家を破壊し出したみたいな。バット持って振り回したりした、自分の部屋だけど。恥ずかしいな。結局親に迷惑かけるしかなかった。親もポリ(警察)呼ぶしかないやん。そこででっかい病院に連れていかれて。警察いかんと。恥ずかしいけどそんな感じ。どうしようもなかったな」と告白する。
「似たような奴とつるむことによって良くなってくるから。今おれは安定してるし、まともに働けてるしさ」「そういうやつに捧げたい気持ちあるな。同じような奴な。結構多いんちゃうかな」といい「なるべく外に出て生身に触れることやな」などと同じ病気と闘病する人たちにメッセージを送った。
映画は2017年12月29日のセカンドアルバム「かっつん」リリースパーティーでのライブで締めくくっている。6年かけて神戸のラッパー小林を追跡した本作は、光永監督の長編初監督となる。監督自身も一時東京から神戸に移住して生活を共にしたという。小林が運転する軽自動車に同乗してカメラを回し、神戸の街を走りながら小林が語るシーンも多用されている。このドキュメントは躁うつ病と闘い「寛解」になった若者の闘病と復活劇でもあり、その波乱の半生をペンと紙で歌詞に昇華させて歌ったラッパーの”復活アルバム“のメイキングでもある。小林が実体験から紡ぎだす心の叫びのような魂のラップの歌詞が聞く者の胸を打つ。(2021年4月23日よりアップリンク渋谷で公開)

■公開初日に小林勝行と光永惇監督がトークショー

「寛解の連続」ラッパー小林勝行がそううつ病との闘病を経てアルバムを発表するまでの迫真のドキュメント
トークショーを行った小林勝行㊨と光永惇監督(23日、東京・渋谷区のアップリンク渋谷で)

映画は23日、東京・渋谷区のアップリンク渋谷で初日を迎え同日午後4時15分の回の上映後、小林勝行と光永惇監督のトークショーが行われた。

光永監督は小林との出会いについて「初めて知ったのは2008年くらいですか、すごい人がいるなということで。そのあと自分が映画を撮りたいと思ったときに、小林さんを撮りたいという気持ちがあって、それが2014年ぐらいでした。2014年から小林さんを撮り始めて、実際に撮影が終わりとなったのは2018年くらいでした。なので撮影期間は4年ぐらいで、そのあと編集とか上映活動とか計6年かかっている」と6年の歳月をかけたことを明かした。

小林は「監督には感謝です。長いこと音楽やっていきたいと思ってるんでキャリア的に間違いないというか、楽にさせてくれているような気がして、ありがとうございます」と言葉少なに語った。

「最後の『オレヲダキシメロ』っていう曲がクライマックス的になるという話で、日常的な部分にも派生しつつ、それが1個の軸というか、分かりやすいストーリーに作っていくというのが一つの直線的な流れになるように配慮して編集しまして。それで歌詞の中に全部注ぎこんでいくというか、それまでのアルバムの1個1個の曲にあったモチーフが散りばめられている」と監督。「小林さんは信仰もそうですし、1個1個がどれか一つに小林さんっていう人は押し込めることができないっていうか、すべて合わさって1人の小林勝行という人間のドキュメンタリーになればいいなと。それは小林さんの曲にも感じられることだと思うんですけど」という。

観客に感想を求めたときに「自分兵庫県に住んでて高校生の時に小林さんがラップしてるのを見たことがあるんですけど、その時からめっちゃかっこいいなと思って、ずっとファンでチェックしてて、映画になったの見て今日やっと見れて。高校生の時の自分の気持ちとか思い出して…ほんとに観れてよかったですし、これからもずっとラップ続けてほしいと思ってるんで、本当に良かったと思いますこの映画作れて。ありがとうございます」と感極まるファンもいた。小林は「ありがとう、あとでしゃべろう」と応じていた。

「この映画は完全に神戸しか出てこないんですけど、それでも一般的な観光的なイメージの神戸とはちょっと違う光景を撮りたいというか、それは小林さんのリリックでも“どこにでもおるようでどこにもおらん奇妙な男”といのがあるんですけれど、どこにでもありそうでどこにもない場所みたいな風に撮りたいなというのがあって作りました」と光永監督。
「もともと僕は出身が東京ですけど、小林さんを撮りたいということで最初は夜行バスでしばらく通ってたんですけど、そのあと2016年11月ごろ、そろそろ住みたいという気持ちもあって、その町のことを知りたいということもあったので、神戸に1年間住んで、その間に撮った素材では『おれを抱きしめろ』を作ってるところは住んでるときに作りました。“今日『おれを抱きしめろ』のリリック書くよ”とかそういう報告を小林さんからもらって、すぐに行けるような距離のところに住んでいたので、リリックを書くというかなり個人的なタイミングに合わせられるようになりました。中心になっているインタビューしているところとか介護しているところとかは2015年の2月とかに小林さんの家にずっと泊って撮りました」という。「時期は違うんですけど、その2つの素材がメインになってこういう形の映画になっています」というと「たいへんやったな。もうお風呂と手洗い以外はずっと回しとったな」と小林。
「その1週間の時は本当にそうでしたね。小林さんいつミラクル起こすかわからないので(笑い)。緊張しっぱなしでした」(監督)、「寝るときすら撮るんだよな(笑い)」(小林)

「小林さんはリリックとかすごいアーテイスト的、芸術家的に作っているところがあって、それもヒップホップだから生き様そのものの表現しなきゃいけないところもあると思うんですけど、そのさまを映像に残すことが、僕としては現実の一番近いところで起こっているドラマというか劇というか、そういう風になればと思ってやらせてもらってて。それはすごくプライベートな時間でもあるし、1人でスタッフもいないところでずっとカメラで追い掛けていたんで、かなり密なドキュメンタリーになりました。あの時だから撮れた映像ではあるかなと思います」と小林監督。

映画の中にも登場するが絵を描くのが好きだという小林は「最近はかわいい感じのを描いとったんだけど、次のあアルバムでバキッとしたやつを作ろうしてて、ナルシズムになるために、バキッとヤングマガジンさんやないけど、ちょっと走ってるというかそういう線が好きかな」と次回作のアルバム制作について明かした。

「寛解の連続」というタイトルについて観客から聞かれて、光永監督は「小林さんが1曲目で『寛解の連続』を作るっていう話を聞いて、すごく複雑な言葉だなと思って。単純に寛解っていう言葉自体が、完治はしてないけど再発もしてないみたいな中間状態みたいな。それがさらに連続するっていう。連続っていう言葉もあいまいな言葉っていうか、あいまいな言葉が二つ掛け合わされた寛解の連続っていう言葉について、僕自身は心の中にずっと残っていて、どういうことなんだろうなと思い。それで編集しながら、断片的な映像が連なる映画になっていって、これはもう“小林勝行ドキュメンタリー”とか“かっつん”とかそういうんじゃなくて寛解の連続っていう連続しているものとして映画化したいと思うようになりました。寛解の連続っていうのはポジテイブなことだと小林さんも言ってるし、僕もすごくそう思って、それは一時的なものかもしれない寛解っていう状態を連続させるっていう、その一つ一つの寛解状態を大事にしたいっていうか、大切なことだなっていう、そういうメッセージを込めました」(光永監督)

また「自由になったらすぐに遊ぼ。」というポスターのキャッチコピーについて「今のこの状況のなかでこの映画を公開するっていうときに、どんな言葉がいいだろうと考えてて、小林さんの隔離病棟の経験を終えて自由になったら遊ぼうという風に使ってるんですけど、今は人々が隔離されるような状態が当たり前になっていて、そういう状況を踏まえてこの映画を公開したいと思っていたので、自由になったら遊ぼうっていうのは人と人のつながりとか絆とか、そういうことがやっぱり大事な事じゃないかっていう、それと隔離されているんじゃないっていうことを伝えたくて、自由になって早く遊びましょうという気持ちで使いました」と語っていた。