マリリン・モンローの”最後の1日”を元家政婦が証言

(2018年10月3日)

”永遠のセックスシンボル”マリリン・モンローが1962年8月5日、35歳の若さで急死して53年。睡眠薬の過剰摂取による自殺とされたが、他殺説も根強く残っている。そうしたなか、モンローの謎の死の真相を知る元家政婦エニス・マーレ―さんが「モンローの最後の1日」の様子を明かす暴露本を出版。あの夜大物政治家がモンロー邸を極秘裏に訪れたなど新事実を明かした。

米芸能サイト「レーダーオンライン」によると、マーレーさんがモンローが死亡した5日の午前8時ごろモンロー邸に到着すると、モンローは自宅のなかを歩いていたという。モンローの広報担当パット・ニューコムは前日からモンロー宅にいてまだ寝ていた。午前10時、カメラマンのラリー・スチラーが電話してきて「プレイボーイ」誌に掲載するモンローの ヌード写真「Something’s Got To Give」について話し合っていた。

同10時30分から正午にかけて、メキシコからサイドテーブルが届きとても喜んでいたという。 また裏庭に植えるシトラスが届いた。

「モンローはとても感情が高ぶっていた」(主治医)

午後1時から2時ごろ、モンローは「家に酸素がないか」などと突飛なことを言い出したという。
午後2時過ぎに、マーレーさんが車の修理を頼んでいた修理工のヘンリー・ダントニオさ ん夫妻がマーレーさんの車で到着。その時、モンローは寝室で寝ていたという。
午後4時30分から5時の間に、モンローの主治医ラルフ・グリーンソン医師が到着。同医 師がのちに話したところによると、モンローはとても感情が高ぶっていたという。同医師は パーティーに出席するために午後7時に帰った。

午後7時30分、モンローは前夫の元メジャーリーガー、ジョー・ディマジオの息子ジョー ・Jrに電話した。Jrは自身の婚約が破談になった ことを報告したとところ、モンローは喜んでいる様子だったという。
午後8時、モンローは主治医のグリーンソンに電話して、混乱した様子で「ネンブタール (鎮静催眠薬)はどこにあるの」と聞いたという。グリーンソンは彼女がネンブタールを使用していることは知らなかったという。

「大統領にグッドバイと伝えて」

午後8時から9時の間に、ケネディ大統領の親戚のピーター・ローフォードがモンローに電話して、 同夜のディナーパーティーに来ないかと誘ったが、モンローは断ったという。とても落ち込 んで言葉が不明瞭だったという。その時、のちに愛人関係を取りざたされたケネディ大統領 のことに触れて「大統領にグッドバイと伝えて、あなたにもね。あなたはナイスガイだから」 と言ったという。そして電話の途中で彼女は寝てしまったという。

午後9時から10時までのことはだれも知らないが、モンローの遺体を解剖 した結果睡眠薬バルビタール42錠を飲んでいたことがわかっている。
午後9時30分から10時の間にモンローの友人、ミルトン・ルディンが電話してマーレーさ んにモンローの様子を聞いたとき、マーレーさんはモンローは寝室だといっていたが彼女の 様子を確かめてはいないようだったという。

マーレーさんは午前3時ごろに目が覚めて、モンローの寝室のドアから明かりが漏れてい ることを見て心配になったが、当初そのことは話していなかった。1985年、英BBC のインタビューに、そのことを認めて当時の愛人のロバート・ケネディ司法長官が同日、モ ンロー宅を訪れていたことを認めた。
グリーンさんはモンローの異変に気が付いたとき911には電話せずに主治医のグリーンソン医師に電話して報告した。午前3時15分、 グリーンソン医師が到着。ドアにカギがかかっていて中に入れず窓から入り、モンローがベッド の上で全裸で死んでいるのを発見したという。
そしてもう一人の医師ハイマン・エンゲルバーグ医師を呼び同医師は午前3時30分に到 着。しかし2人はすぐには警察を呼ばなかったため2人は警察を呼ぶ前に現場をクリーンに したのではないかといううわさが流れた。午前4時25分、警察が到着。モンローの死亡を 確認した。死因は睡眠薬バルビタールの過剰摂取による自殺とされたが、元家政婦の証言で 他殺疑惑は一層深まる結果になっている。