オードリー・ヘプバーンは反ナチの闘士だった

(2018年11月4日)

  • 少女時代の意外な過去が浮上
    (Instagram/audreyhepburn)

「ローマの休日」などの数々の名作で知られるハリウッドの伝説の女優、オードリー・ヘプバーン(1993年、63歳没)は反ナチの闘士だったという過去の意外な秘密が浮上した。 米紙ニューヨーク・ポスト(電子版)によると、ヘプバーンが第2次世界大戦中に、反ナチのレジスタンスのために活動していたことが新刊本「オランダの少女:オードリー・ヘプバーン」(ロバート・マッツェン著)で明かされた。

1939年に第2次世界大戦が開戦したとき10代のヘプバーンはイギリスでバレリーナを目指していた。

両親はナチのシンパだったが、ヘプバーンが幼少のころ父親は家族を捨てて離婚したため、母親とともにオランダに移住した。オランダは間もなくナチス・ドイツに占領される。ヘプバーン自身「駅で貨車に積み込まれて輸送されるユダヤ人たちを何度も目にした」と語っている。そうしたなか1942年、叔父の貴族の叔父のオットー・ファン・シュティルムが反ナチのレジスタンス活動をしたことで処刑されたことが彼女のトラウマになったという。その事件がきっかけでヘプバーンはレジスタンスのリーダーたちと接触して反ナチの活動をしていたという。

著者のマッツェンはオットーが処刑されるまでの4か月間の獄中生活中に執筆した188ページの日記を発見したという。その日記の中にヘプバーンのことも書かれていた可能性がある。1944年、ヘプバーンがオランダのレジスタンスの活動資金を集めるためにひそかにバレエを踊ったともいわれる。

戦後はイギリスでバレリーナとして舞台に立ち、1953年に公開された「ローマの休日」が大ヒット。さらに「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」「ティファニーで朝食を」「サレード」などでハリウッドのトップ女優として一世を風靡した。  1980年代後半からは本格的にユニセフの活動をしてユニセフ親善大使として活躍するがこれは幼少期の体験がモチベーションになったとみられる。