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映画「イージー・ライダー」のピーター・フォンダさん肺がんのため79歳で死去

(2019年8月17日)

映画「イージー・ライダー」のピーター・フォンダ 肺がんのため79歳で死去
 (ピーター・フォンダさん死去を報じる米「レーダーオンライン」)

映画「イージー・ライダー」などで知られる米俳優ピーター・フォンダさんが16日(現地時間)、ロサンゼルスの自宅で肺がんのため死去した。79歳だった。

米芸能サイト「レーダーオンライン」によると、ピーターさんは家族に看取られて16日午前11時5分、肺がんのため死去したという。ピーターさんは肺がんを患い闘病していた。ピーターさんの家族は「ピーター・フォンダが死去したというニュースを皆さんと分かち合うことに深い悲しみに包まれています」などと声明を発表した。

ピーターさんは「荒野の決闘」(1946年)、「十二人の怒れる男」(1957年)、アカデミー賞主演男優賞を受賞した「黄昏」(1981年)などで知られるハリウッドの名優ヘンリー・フォンダさん(1982年77歳で死去)の長男で、女優のジェーン・フォンダ(81)は姉。娘のブリジット・フォンダ(55)も女優として活躍している。

12歳のころから戯曲を書き始め、13歳で舞台の政策、戯曲執筆、演出を手掛けた。オマハ大学で大学の劇団に参加。卒業後、ブロードウェイの舞台「Blood,Sweat&Stanley Pool」で、ニューヨーク批評家賞の最も期待される俳優に対する賞を受賞。1963年、「タミーとドクター」で映画デビュー。チョッパーを乗り回して旅をするピーターさんとデニス・ホッパー演じる2人の若者を描いた映画「イージー・ライダー」(1969年)が、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう!」などの劇中曲と共に大ヒット。アメリカン・ニューシネマの代表作として一世を風靡した。

1997年「木漏れ日の中で」で老養蜂家を演じてゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞。アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。1983年、芥川賞作家・村上龍原作・脚本・監督の日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」に主演したことがあった。晩年はハリウッドを嫌ってモンタナの山間地でひっそりと暮らしていた。

 日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」に主演
 「映画作りは日本語も英語も『アクション』『カット』は同じ」

1982年11月、ピーターさんが「だいじょうぶマイ・フレンド」に主演したとき、ロケ先のサイパンで取材したことがあった。当時42歳で、初めての日本映画だったが「映画作りは日本語。英語、どんな言葉だろうが『アクション』『カット』は同じ。楽しくやらせてもらっている」とご機嫌だった。

ピーターさんの役は飛べなくなったスーパーマンのゴンジー・トロイメライで、地球に墜落して、日本人の少女ミミ(広田レオナ)らと友達になるがゴンジーの細胞を採取してクローンを作ろうとする悪の組織に狙われるという物語。「これまでの映画で一番ハチャメチャで風刺的な作品だ」と気に入っていた。

ピーターさんにはスタンドインがいて、テストではスタンドインが演じて、ピーターさんは本番だけ演技した。「日本語が分からなくても勘がいいし、その場の状況を的確に把握して芝居をするので、ほぼ一発オーケーになる」とスタッフも驚いていた。昼食時間には「ハンバーガーが冷たくなるから」といって仕事はせず、デレクターチェアに座って、ビールを飲みながらジョークを言ってスタッフを笑わせるなど大物ぶりを発揮していたのが印象的だった。