ポール・マッカートニー、エリザベス女王を追悼「素晴らしいユーモアのセンスと威厳を兼ね備えていて、私を感動させてくれた」

(2022年9月12日6:00)

ポール・マッカートニー、エリザベス女王を追悼「素晴らしいユーモアのセンスと威厳を兼ね備えていて、私を感動させてくれた」
エリザベス女王とポール(Instagram/@paulmaccartney)

ポール・マッカートニー(80)は、エリザベス女王が亡くなった翌日の9日(現地時間)、自身のフェイスブックとインスタグラムに女王と面会した時の写真などを投稿して心のこもった回想と賛辞で追悼した。

米紙ニューヨーク・ポスト(電子版)によると、1969年9月にリリースされたビートルズのアルバム「アビー・ロード」に収録された「ハー・マジェスティ」(原題:Her Majesty=女王陛下)を作曲しているポールは、エリザベス女王に「8回か9回」会い、女王の70年にわたる在位期間のすべてに生きていたことは「特権だった」としている。

ポールは「10歳の時にリバプールのエッセイコンテストに応募して、英国王室について書いて部門賞を受賞したこともあり、長い間ファンだったんだ」という。そして、会うたびに「彼女は素晴らしいユーモアのセンスと威厳を兼ね備えていて、私を感動させてくれた」と回想した。

ポールは、1965年にビートルズが大英帝国勲章を授与された際、女王との接し方について指導を受けたことを振り返った。「私たちは脇に連れて行かれて、正しい接し方を教えられたのを覚えています。女王陛下に近づく方法と、女王陛下から話しかけられない限り話しかけてはいけないと言われた。リバプールの4人の若者にとっては、『わお、すごい』という感じだったね」。

ビートルズがバッキンガム宮殿の礼儀作法に従ったかどうかは、確認されていないという。ジョン・レノンは、面会の前に宮殿のトイレでマリファナを吸ったと後に語っている。ポールとジョージ・ハリスンはレノンの主張を否定したが、リンゴ・スターは「覚えていない」と述べたという。

ポールが次に女王と会ったのは、1982年のロイヤル・アルバート・ホールだったという。「(亡き妻)リンダ(・マッカートニー)と私が参加した "An Evening for Conservation "というイベントでのことです。このイベントでは、ビートルズの楽曲をオーケストラで演奏することもあり、そのことについて女王陛下とおしゃべりをしたことを覚えています。彼女は私をフィリップ殿下に再び紹介したら、殿下は60年代に会ったことを覚えていると言ったんだ!」。

15年後、「女王は、ハリスンと私が通っていた学校の跡地に、リバプール舞台芸術研究所を開設することを快く承諾してくれた」とマッカートニーは述べている。その1年後、女王はポールにナイトの称号を与え「私にとってとても誇らしい日」で「これまでで最高の日の一つ」と振り返った。
「ナイト爵位を授与されるのはとても光栄なことで、もちろん辞退するのは失礼なことです。その日は春で、青空が広がっていたのを覚えています。素晴らしい一日で、リバプールの小さなテラスハウスから遠くへ来たものだと思ったのを覚えています」。

2002年に行われた女王のゴールデン・ジュビリーでもポールはセレナーデを披露している。「ショーの終わりに女王陛下がステージで拍手を受けているとき、私は冗談で『じゃあ、来年もこうなのかな』と言ったら、彼女は『私の庭では無理よ!』と答えたんだ」という。

マッカートニーはその後、レノンとよく訪れていたリバプールのギャラリーで彼が主催した絵画展に女王が参加したことや、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツのセレブレーション・オブ・ザ・アーツで彼女と話をしたこともあったという。

「2012年6月4日、女王はダイヤモンド・ジュビリーを祝いますが、それはいろいろな意味でとても特別なことでした。前回のジュビリー以来、女王の前で演奏するのは初めてでしたし、ポールモールを埋め尽くす人々の姿も素晴らしかったです。その後、他のロイヤルファミリーの方々とお会いすることもできました。英国人として最高の週末だった」と振り返った。

最後の出会いは2018年、ポールが芸術、科学、医学、または政府に長期にわたって大きな貢献をした人に与えられるコンパニオン・オブ・オナー勲章を授与された時だった。「私は彼女と握手し、身を乗り出して、『このような形で会うのはやめましょう』と言うと、彼女は少し笑って、式典を続けました。女王に対してちょっと生意気だったかなとも思ったが、彼女は気にしてないような気がする。神のご加護を。あなたがいなくなると寂しくなります」と締めくくった。