「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品

(2022年5月18日12:15)

「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(©Huanxi Media Group Limited)

中国の巨匠チャン・イーモウが脚本・監督を担当し「この作品を、映画を愛する全ての人に捧げたい」という、映画愛に溢れた作品で中国版「ニュー・シネマ・パラダイス」ともいわれるヒューマンドラマ。監督自身が長年映画化を熱望していた企画という。主人公の逃亡者に多くのテレビドラマに出演し、映画「最愛の子」(2014年)で中国のアカデミー賞といわれる金鶏奨の最優秀助演男優賞を受賞。「オペレーション・レッド・シー」(2018年)に主演している中国の人気俳優チャン・イー、映写技師のファンに「ミスター・ノー・プロブレム」(2017年)の演技で中華圏を代表する映画賞の金馬奨・最優秀主演男優賞を受賞したファン・ウェイ、そして監督が見出した新人リウ・ハオツンが孤児リウ役で出演している。
2020年・中国、103分。配給:ツイン。

「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(©Huanxi Media Group Limited)

■ストーリー

毛沢東主席が主導した中国の文化大革命の真っただ中の1969年、造反派に歯向かい、強制労働所送りになった男(チャン・イー)は、妻と離婚し、最愛の娘とも疎遠になっていた。数年後、22号というニュース映画に娘が1秒間映っているという話を聞いた男は、娘を見たい一心で強制労働所から脱走して、逃亡者となり砂漠の中をさまよい映画が上映される予定の村を目指していた。そうしたなか、浮浪者のような汚れた服を着てぼさぼさの髪をした孤児のリウ(リウ・ハオツン)が、フィルムの1巻を盗んで逃げるのを目撃する。
村についた男はリウを見つけ出して盗んだフィルムを取り上げ、映画技師のファン(ファン・ウェイ)に渡す。ところがフィルムの運搬係の不手際で膨大な量のフィルムが地面にばらまかれ、泥だらけになり上映が不可能になってしまう。その中には男が探していた22号のニュース映画の缶があった。唯一の娯楽となっていた映画を楽しみにしていた村人たちも失望する中、映画技師のファンはフィルムの修復に立ち上がる。

「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(©Huanxi Media Group Limited)

■見どころ
チャン・ツィイーのデビュー作で出世作となった「初恋のきた道」(1999年)や文化大革命を題材にした「妻への家路」(2014年)のような情感あふれる作品。娘が出ているニュース映画を見たい一心で強制労働所を脱走した主人公の男と、別の目的で映画のフィルムを盗む幼い弟と貧しい暮らしをしながらたくましく生きる孤児のリウ、そして映画を楽しみに待つ村人たち、泥だらけになったフィルムを修復しようとするベテランの映写技師のそれぞれの思いや執念が交錯して映画をめぐる奇跡のようなドラマが繰り広げられる。“イーモウ・ガール”と呼ばれるチャン監督か発掘した女優の中でも「赤いコーリャン」(1987年)のコン・リー、「初恋のきた道」(2000年)のチャン・ツィイーに続く女優になると期待されている孤児役のリウ・ハオツンは孤児役で逃げ回ったり暴れたりと熱演している。2000年5月20日生まれ、吉林省長春市出身で同作が日本公開される20日に22歳になる。

「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(©Huanxi Media Group Limited)

■チャン・イーモウ監督のコメント

「子供の頃に観た映画の光景がいつまでも忘れられない。
あの言い表せないほどの興奮と喜びはまるで夢のようだった。
映画は、成長する私たちの傍にずっと寄り添ってくれた。
夢は、私の人生にずっと付き添ってくれた。
どんな人にも一生忘れられない特別な映画がひとつはあるだろう。
忘れられないのは、単に映画のことだけでなく、
天に輝く星を仰ぎ見るような、
あの頃に抱いた夢や憧れなのかもしれない。
『ワン・セカンド 永遠の24フレーム』は、
映画を愛するすべての人に捧げる作品である。
監督 チャン・イーモウ」

「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」チャン・イーモウ監督の映画愛溢れる私的作品
「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(©Huanxi Media Group Limited)

監督はインタビューで同作が私的な映画だとして次のように語っている。
「本作は私にとって非常にパーソナルな内容で、青春時代の記憶そのものです。物語は創作ですが、多くのシーンは私自身が体験したものです。中でも上映会のフィルムを修復するくだりのエピソードはそうです。1973年、私は陝西省の綿紡績工場で働いていました。ちょうど映画の撮影について独学を始めた頃です。当時は収入がわずかで、生活が苦しく、何年も苦労してやっと貯めたお金で、簡易の機材を購入して撮影の勉強を始めました。そのため、フィルムが汚れたらどう洗うか?どうすれば水垢がつかないか?どうすれば簡単に蒸留水を手に入れるか?どうやって素早くフィルムを乾かすか?フィルムが絡まったらどうすればいいか?そういったフィルムの細かい取扱についての描写はすべて自分自身の体験であり、苦労して発見したノウハウです。最も重要なことは、映画を見るということが当時の人々に大きな喜びをもたらしたということです。すべての若者にとって、映画鑑賞は美しい夢でした」と語っている。
(5月20日(金)よりTOHOシネマズシャンテ 他全国公開)