ポール・マッカートニー、ビートルズの解散は「ジョン・レノンのせい」と主張

(2021年10月11日11:50)

ポール・マッカートニー(79)がビートルズの解散はジョン・レノンのせいだったと主張した。英BBCラジオのインタビューで1970年のビートルズ解散について語り解散の原因は自分ではなくレノンに責任があると語ったという。

米紙ニューヨーク・ポスト(電子版)によると、ポールは10月24日に放送される英BBCラジオ4のインタビューで、1970年のビートルズ解散に言及して「うまくいかない」と判断したのは、バンドメイトでありソングライティング・パートナーであるジョン・レノンであり、50年間広く伝えられてきたように、自分が解散の原因ではないと主張したという。

ポールは、1970年4月にビートルズの活動にピリオドを打つ発言をしたことについて聞かれ、「私は解散を煽った人間ではない」と語ったという。英紙ガーディアンに掲載されたインタビューのプレビューによると、ポールは「ジョンはある日、部屋に入ってきて『ビートルズを辞める』と言ったんだ。それは分裂を扇動しているのか、いないのか?」と明かしたという。

ポールによると、ビートルズのマネージャーのアレン・クラインは、解散に向けて準備を行う際に、解散について黙っているようにメンバーにアドバイスしたが、ポールが焦って口を滑らせたため、彼がバンド解散の中心人物になってしまったという。「私はそれを隠すことにうんざりしていた」と、マッカートニーはBBCに語ったという。

ポールは1970年4月10日、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」にてビートルズからの脱退を発表してビートルズは事実上解散となった。その1週間後の4月17日、ポールは初のオリジナル・アルバム「マッカートニー」を発売。騒動のさなかでアルバムはアメリカの「ビルボード」誌で1位を獲得した。レノンは「グループの脱退宣言をアルバムの宣伝に利用した」と非難した。当時は解散の原因としてポールとレノンの不仲説が取りざたされた。

ポールは、1969年にカナダのモントリオールとオランダのアムステルダムで行われた「平和のためのベッドイン」など、レノンが妻のオノ・ヨーコと一緒に新たな活動に情熱を傾けていることが、バンドが一緒に作曲や録音を続けることとは相容れないものだったと語った。「ジョンがヨーコと一緒に新しい生活を始めたということが重要だったのです。ジョンは厳格なミミおばさんに育てられたこともあって、いつも社会から抜け出したいと思っていたんです」。

さらに、レノンは脱退について「かなりスリリリングで離婚のようだ」と軽々しく言ったと付け加えた。ポールは、ジョンとヨーコを "素晴らしいカップル"と呼んだが「ビートルズは私のバンドであり、私の仕事であり、私の人生だから、続けてほしいと思ったんだ」と、ポールは当時、グループを維持したいという思いを語っていた。

ポールのBBCのインタビューは、ピーター・ジャクソン監督がバンドの最後の日々を描いたドキュメンタリー映画「Get Back」が公開される約1か月前の10月24日に放送される予定だという。ポールは10月9日のジョン・レノンの誕生日(1940年10月9日生まれ)にビートルズ時代のツーショット写真を自身のインスタグラムに投稿して「ジョンの誕生日おめでとうーポール)とキャプションを添えた。