「オードリー・ヘプバーン」伝説のハリウッド女優の名作と激動の生涯がスクリーンに甦る

(2022年4月30日22:30)

「オードリー・ヘプバーン」伝説のハリウッド女優の名作と激動の生涯がスクリーンに甦る
「オードリー・ヘプバーン」(東京・渋谷区のBunkamura ル・シネマ)

アカデミー賞主演女優賞を受賞した不朽の名作「ローマの休日」(1953年)をはじめ、「麗しのサブリナ」(1954年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「暗くなるまで待って」(1967年)など数々の名作、ヒット作で知られるオードリー・ヘプバーン(1929年~1993年)。1970年代以降は数本の映画に出演しただけで1988年から1992年まで、ユニセフの親善大使として世界の紛争地帯を飛び回り飢餓に苦しむ子供たちの救援に奔走したハリウッドの伝説の女優の波乱の生涯を描いたドキュメンタリー映画。
製作はファッション・ドキュメント「マックイーン:モードの反逆者」(2018年)など数多くのドキュメンタリーを発表しているサロン・ピクチャーズで、監督はアルファ・ロメオやフェラーリをデザインしたカーデザイナー、フランク・ステファンソンの作品と人生を追った「Chasing Perfect(原題)」(2019年で長編映画デビューをはたしたヘレナ・コーヘン。2020年・イギリス・100分。配給:STAR CHANNEL MOVIES。

ヘプバーンの最初の夫で俳優のメル・ファーラーとの間の長男ショーン・ヘプバーン・ファーラーとその娘でヘプバーンの孫にあたるエマ・キャサリン・ファーラーの2人の肉親がヘプバーンのエピソードなどを詳しく語っている。さらにはヘプバーン主演の「ニューヨークの恋人たち」(1981年)の監督ピーター・ボグダノビッチや、スピルバーグ監督の「オールウェイズ」(1989年)で共演した俳優リチャード・ドレイファス、晩年の彼女を知るユニセフの写真家ジョン・アイザックや戦場ジャーナリストのエディス・レデラー、作家で評論家のクレマンス・ブールーク、ヘプバーンのファッションを担当したジバンシーの元アーティスティック・ディレクタークレア・ワイト・ケラーなどゆかりの深い友人や関係者が多数登場して語り、ヘプバーンの全体像を浮かび上がらせる。そして本人の出演映画のシーンやインタビュー映像、プライベートなアーカイブ映像などがふんだんに挿入されてヘプバーンのドキュメント映画の決定版になっている。

圧倒的な美貌やエレガントな品性、笑顔、そしてジバンシーが担当して創出された斬新で華麗なファッションでスクリーンを飾った彼女は、エリザベス・テイラーやマリリン・モンローなどのハリウッドスターとは全く違う女優としてハリウッドに革命をもたらしたことなどが紹介される。彼女のプロ意識は高くセリフも完璧に覚え、監督に自身の考えやアイディアを主張する新しいタイプの女優だったことも語られる。そして「ローマの休日」に抜擢されて一躍大スターになる前のバレエダンサーになることを夢見ていた時代のヘプバーンが登場するのも注目される。

両親が1930年代にイギリスのファシスト連合に参加し、父ジョゼフはナチズムの信奉者となり、9歳のころの1935年5月、家族を捨てて出てゆき1938年に離婚。相当なショックを受けたという。この時に味わった「父に捨てられた」という感情は後々の彼女の考えに影響を与えたことなどが明かされる。1939年、ナチス・ドイツがイギリスに宣戦布告し、母親はイギリスでバレエのレッスンを受けていた彼女をオランダに戻しアルンヘム音楽・バレエ学院に入学するが1940年にアルンヘムがナチスに占領され、異父兄のイアンはドイツの強制収容所に連行され、もう一人の異父兄アレキサンダーはレジスタンス活動に参加。叔父はレジスタンスに参加したとして処刑された。ヘプバーンはイギリス軍のメッセンジャーを務めていたという。また、反ナチ・のために秘密裏のバレエバレエ公演を行い資金稼ぎに協力していたといわれる。そうした幼少期、少女期の激動の体験が明かされているのも注目される。ヘプバーンがハリウッドで異彩を放った背景や彼女のルーツ、そして愛への渇望、惜しみなく与える愛や1993年1月20日、スイスの自宅で死去した時の様子も長男が明かす。

コーン監督は「彼女は人生における大きな悲劇やトラウマを抱えていましたが、常にそれをより良いものへ、そしてより美しいものへと変えることができました。彼女は恐怖や憎しみに溢れる世界で愛の重要性のために立ち上がり、今でも何らかの形で戦い続けています。そして自分に何があっても愛することを止めず、寛容な心を持つことができたのです」と語っている。
(2022年5月6日より全国公開中)